思考は続く・・・自力下山その後
(思考中)の記事です、後々追記訂正の可能性が、大いにあります。テントミータカが対処しきれないコメントを受ける場合があるかもしれません。今回の記事に限り匿名のコメントは受け付けません。
↑以上、ご理解・ご了解の上、記事を読み進めていただく事、お願います。
2008(H20).1/16記
★「遭難騒ぎ」という言葉が嫌い⇒「遭難中」当人には「騒ぎ」の状況ではありません、必死です。
★「山をなめてはいけない」⇒普段から山・自然を知り・親しんでいる人から言われると素直に聞ける言葉だが、意外と、山・自然と縁の無さそうな人から、度々発せられる言葉。
「迷惑をかけないよう、山を楽しむ。迷惑をかけたときには山を辞める」という言葉を耳にする。
⇒「迷惑」という言葉を、人はそれぞれ、どういう意味で使うのだろう???
「迷惑」=「心配」ならまだ理解できる
「迷惑」とは受け手側からみた、当事者を排除しようとする感情であって、「心配」は当事者の身を案じての言葉だろうか。
私は、「迷惑」という言葉に、光明を感じない。
・・・そもそも、私たちが生きていく上での、果たして「迷惑」「心配」をかけないで生きていくことが出来るとは、到底思えない。
「迷惑」「心配」をかけないで生きていくよう努力している、といった所か・・・
「生きていく責任」を全うすべく、努力・工夫・創意の上で、不条理な事に晒されながらも、悩みもがき、希望を忘れずに生きている。
(思考は続く)・・・・
********************************
1/23追記
「豊後ピートのブログ」管理人bongo-peteさん 1/23の記事詳細
抜粋ですが↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「・・・最後には「夏も冬も、もう山には登らない」と締めくくる様子は実に神妙で、ココロを打つものがあります。が、「そこまで謝らなくても、いいんでねぇの?」という気持ちも同時に沸き起こります。
私は何度もレスキューに出動していますけど、迷惑だなんて思ったことはほとんどないです。
・・・山岳遭難そのものが地元に迷惑だというなら、登山そのものを禁止するしかないでしょう。もっとも、超が3個ぐらいつくような馬鹿な遭難事故ですと、さすがに「ふざけるな」と思うときがありますけどね・・・・・
救助に絡んでいる人があの会見を見たら、ほとんどの人が寂しく感じるような気がしますね。」
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
今までも、遭難救助に直接関わる人の本を読むと、似たような記述がありましたが・・・bongo-peteさんの↑記事を読んだ私は、涙が出そうになりましたよ・・・
↓山屋さん側の意見としては(私を含め)大概は、
(程度の差はあれ)山歩き全部をやめなくてもいいんでないの?のご意見が多く、
たま~に
「人様に迷惑をかけたら(遭難騒ぎを起こしたら)一切、山をやめる」とキッパリ縁切り派がチラホラ
救助する側の人は、実際どう思っているのか??だったのですが、 この方 のお話を含め考えても、
「二度と山へ入るんじゃね~」じゃなくて、「ご自分が痛い目に遭ったのだから、次からは気をつけて山を楽しんで下さいよ」という風に受け止められる・・・
「迷惑かけた」じゃなくて「心配された」んですよ ・・・多分。
何気に登山道にある、「遭対協」の名前入り指導標・登山届箱、見守ってくれる暖かい人々の気持ちがこもっているんだな、とも・・・
コンパス・携帯・無線機・GPSを持っていたとしても、自分の足・体力で、山を歩くことに変わりはない。
本来「自己責任」という言葉が「その前後一部始終を自己の責任において処理できますので、他人には責任や迷惑を掛けません」ということだとしたら、自分の体を自分で処理できる訳もない山(の遭難)には適用できない、「自己責任」言葉ではなかろうか????。
自力下山できた彼は、「遭難」していたのだろうか????
(思考は続く)・・・
人気blogランキング←参加しています。クリックいただけると嬉しいです。
↑以上、ご理解・ご了解の上、記事を読み進めていただく事、お願います。
2008(H20).1/16記
★「遭難騒ぎ」という言葉が嫌い⇒「遭難中」当人には「騒ぎ」の状況ではありません、必死です。
★「山をなめてはいけない」⇒普段から山・自然を知り・親しんでいる人から言われると素直に聞ける言葉だが、意外と、山・自然と縁の無さそうな人から、度々発せられる言葉。
「迷惑をかけないよう、山を楽しむ。迷惑をかけたときには山を辞める」という言葉を耳にする。
⇒「迷惑」という言葉を、人はそれぞれ、どういう意味で使うのだろう???
「迷惑」=「心配」ならまだ理解できる
「迷惑」とは受け手側からみた、当事者を排除しようとする感情であって、「心配」は当事者の身を案じての言葉だろうか。
私は、「迷惑」という言葉に、光明を感じない。
・・・そもそも、私たちが生きていく上での、果たして「迷惑」「心配」をかけないで生きていくことが出来るとは、到底思えない。
「迷惑」「心配」をかけないで生きていくよう努力している、といった所か・・・
「生きていく責任」を全うすべく、努力・工夫・創意の上で、不条理な事に晒されながらも、悩みもがき、希望を忘れずに生きている。
(思考は続く)・・・・
********************************
1/23追記
「豊後ピートのブログ」管理人bongo-peteさん 1/23の記事詳細
抜粋ですが↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「・・・最後には「夏も冬も、もう山には登らない」と締めくくる様子は実に神妙で、ココロを打つものがあります。が、「そこまで謝らなくても、いいんでねぇの?」という気持ちも同時に沸き起こります。
私は何度もレスキューに出動していますけど、迷惑だなんて思ったことはほとんどないです。
・・・山岳遭難そのものが地元に迷惑だというなら、登山そのものを禁止するしかないでしょう。もっとも、超が3個ぐらいつくような馬鹿な遭難事故ですと、さすがに「ふざけるな」と思うときがありますけどね・・・・・
救助に絡んでいる人があの会見を見たら、ほとんどの人が寂しく感じるような気がしますね。」
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
今までも、遭難救助に直接関わる人の本を読むと、似たような記述がありましたが・・・bongo-peteさんの↑記事を読んだ私は、涙が出そうになりましたよ・・・
↓山屋さん側の意見としては(私を含め)大概は、
(程度の差はあれ)山歩き全部をやめなくてもいいんでないの?のご意見が多く、
たま~に
「人様に迷惑をかけたら(遭難騒ぎを起こしたら)一切、山をやめる」とキッパリ縁切り派がチラホラ
救助する側の人は、実際どう思っているのか??だったのですが、 この方 のお話を含め考えても、
「二度と山へ入るんじゃね~」じゃなくて、「ご自分が痛い目に遭ったのだから、次からは気をつけて山を楽しんで下さいよ」という風に受け止められる・・・
「迷惑かけた」じゃなくて「心配された」んですよ ・・・多分。
何気に登山道にある、「遭対協」の名前入り指導標・登山届箱、見守ってくれる暖かい人々の気持ちがこもっているんだな、とも・・・
コンパス・携帯・無線機・GPSを持っていたとしても、自分の足・体力で、山を歩くことに変わりはない。
本来「自己責任」という言葉が「その前後一部始終を自己の責任において処理できますので、他人には責任や迷惑を掛けません」ということだとしたら、自分の体を自分で処理できる訳もない山(の遭難)には適用できない、「自己責任」言葉ではなかろうか????。
自力下山できた彼は、「遭難」していたのだろうか????
(思考は続く)・・・
人気blogランキング←参加しています。クリックいただけると嬉しいです。
この記事へのコメント
私も今拝読したばかりで自分の意見をうまくまとめることはできませんが、「迷惑をかけた」という言葉は独りよがりな言葉のようにも思えます。「迷惑をかけられた」とされる人たちが本当に迷惑と思っているかどうかは分からないからです。
でも遭難した当事者は、プライドも傷ついていると思いますしショックが大きすぎて、「もう辞める」とでも言わないといたたまれないんだと思います。自己犠牲による償いというか、それが美徳のように感じるのではないでしょうか。きっと「辞めない」って言うほうが「もう辞める」って言うより勇気のいることなんだと思います。
山に入る者、ある程度の天候悪化や危険地帯を承知の上で入るでしょうし、いくら準備し気を付けても向こうからやってきて防ぎようの無いケースもあります。
時に、無謀な遭難も少なくないので、こういった予定よりは大幅に遅れて自力で下山した場合でも世間の目は冷たいですね。
私も単独行が多いので、時に冷やりとする場合がありますが、厳冬期や沢等より危険な登山は今後パーティーでの入山を心掛けようと思っています。
しげぞう様
南八つで遭難救助されて以来、本格的な登山はやめて、子供の付き添いハイキング程度で山を歩く方がいて、私に寂しそうに話された事もあります。人それぞれの考え方ではありますけどね。私は「山を辞めます」とは言えないな・・・。
秋田やまおやぢ様
せっかくの復帰の山スキー・登山ですもん、「無事故・無怪我、これ名馬」で、お互い山を楽しみましょう。